日本の高齢化前夜の失敗から学び取れるもの
鍋山祥子 山口大学経済学部講師
 
 
「特異な」日本の高齢化状況
 これまで世界各国の高齢化状況を論じる文献のほとんどには<図1>のようなものが使用され、そこではもっぱら「先進国」における高齢化に焦点があてられていた。そして、日本の高齢化の特徴として、@高齢化率そのものの高さ(世界一の高齢国家へ) A歴史上例のない高齢化スピードの速さ B後期高齢者(要援護高齢者)の急増*1 が指摘され、先進国といわれる国々の中での日本の特異性が強調されてきた。
<図1>
『人口統計資料集』国立社会保障・人口問題研究所 1998
 
 
 しかし、近年出生率・死亡率の急速な低下と著しい経済発展を遂げている東アジア諸国に目を転じると、その人口構造は日本の高齢化前夜である1960年代後半から70年代始め頃に酷似しており、東アジア諸国において今後、急速な高齢化が進むのは明らな状況となっている。なかでも台湾の人口高齢化は日本よりも急速に進むという予測を立てている専門家もおり、東アジア諸国の高齢化状況は、これまで世界の中で「特異」な高齢化のモデルとして語られていた日本の方にむしろ近い経緯をたどるものと思われる。
 現時点においては、東アジア諸国についての統一された正確な統計データを得ることは難しいが、公表されている2000年から2030年までの高齢化率予測を加えた<図2>のグラフを参照する限り、急速な高齢化の波はもう目前に迫っているのである。高齢化の波をかぶる前のこの時期、国家としての社会福祉への取り組みがいかに重要であるかは、日本の現状を一瞥さえすれば十分である。
 
 
<図2>
『世界の統計2001』総務庁統計局編 pp.15-16/『「中国・韓国・台湾の人口高齢化と高齢者の生活事情」研究報告書』東アジア地域高齢化問題研究委員会編 p.79/『人口統計資料集』国立社会保障・人口問題研究所 1998 より筆者が作成*2
 
 
日本型福祉社会論
 日本は、高齢化についての社会的対策を検討するうえで決定的に重要な時期(1970年代後半から1980年代)を、「日本型福祉社会の構築」という旗を振ることに浪費してしまった。その後、高齢化の波をまともにかぶりながらの後追いの高齢者福祉政策の混乱は、近年の介護保険導入のドタバタ劇によって世界の目にさらされることになった。
 日本型福祉社会という当時の政府構想は、戦後日本が目指しつつあった西欧型の福祉国家モデル、つまり、公的福祉の拡大による社会保障支出の増加を伴う「福祉国家」からの決別を意味していた。いかにして国家の直接的な福祉責任を回避し、福祉財政を縮小すればいいのか・・・。その問いに対する答えは、愛の名の下におこなわれる家族内での無償労働の活用であった。政府は、日本型福祉社会実現の支柱となるものとして、年老いた親と同居する率が高い日本の家族のあり方に着目し、それを古来からの醇風美俗であり日本のよさであり強みであるとして、積極的に「福祉の含み資産」と位置づけたのである。
 このように日本型福祉社会では、老親の扶養や介護は子ども家庭の責任においておこなうべきであるとされ、そのためには「家庭機能の見直しと強化」が必要だと主張された。そして、この老親を家庭内において同居家族が支える、という家庭機能が将来にわたって有効なものとなりうるか否かは、家庭のあり方、とりわけ直接的な介護を担う家庭内の女性の意識や行動のあり方に大いに依存しているとされた。このような考えに基づけば、女性が家庭内のことよりも外での仕事や社会活動に関わることは、無償の福祉供給資源の枯渇を意味し、それは日本型福祉社会の基盤を揺るがす大問題となる。
 こうしてみてくると、日本型福祉社会の基礎となる「家庭機能の見直しと強化」が何を意味するのかがよくわかる。それは、女性は外で仕事をするのではなく、あくまでも家庭での世話労働に従事すべきである、という性別役割分業の強化、つまりは女性の家庭内における世話役割の強制に他ならない。家族だのみの日本型福祉社会は、「親孝行」という言葉に巧みに包まれた女性だのみの高齢者介護体制なのである。
 
家庭機能としての介護
 日本型福祉社会論においてもう一つ注意すべきは、老親介護が家庭機能として明確に位置づけられているということである。確かに、日本の老親との同居率は非常に高い。しかし、同居していたからといって「日本では昔から高齢者介護が家庭内において問題なくおこなわれてきた」という解釈ができるわけではない。近年、「介護の社会化」という言葉がさかんに叫ばれているが、そこでも「もともと同居家族によってなされてきた介護を、社会全体で担っていこう」というように、「高齢者は昔から同居家族によって介護されていた」というイメージが前提となっている。この家族介護神話とも呼ぶべき言説が存在する限り、家族の介護をできない・しない者は、姥捨的な「うしろめたさ」から決して逃れることはできない。
 では、そもそも高齢者は昔から同居家族によって介護されていたのだろうか?江戸時代の状況を伝えるいくつかの史料には確かに、上層の庶民や武士階級にあっては、老親の病状悪化に対処する親族・家族ならびに外部から招かれた介抱人による看病の様子を見て取ることができる。しかし、そこでおこなわれているのはあくまでも病状の悪化に伴う短期間の看護である。ましてや、家族総出の生産活動によってかろうじて生活を維持していた大勢の人々にとっては「医療」は日常的なものではなく、生産に関与できなくなった老親を「介護」するなどという行為もほとんどおこなわれていなかった。個人の尊厳よりも共同体の利益を優先するしかなかったのである。つまり、現在のように長期にわたる「高齢者介護」という現象自体は、決して古来からのものではなく、戦後の医療技術の進歩などによって創出されたものであって、きわめて最近の現象である。
 
親孝行と介護
 また、個人のライフサイクルの変化に着目すると、「親孝行したいときには親はなし」と言われた時代、親孝行は金銭による扶養を意味していた。かつての高い同居率によって支えられてきたのは、子ども世帯による老親の金銭扶養であった。しかし、世界一の長寿国となり、並行して少子化が進行するなかで、子どもと親とが共有する時間は延びた。また国民皆年金によって高齢者の生活保障もある程度は整えられた今、親孝行とは身体介護を意味するようになった。
 このように「介護」や「親孝行」の中身の変容を不可視のものとして、日本型福祉社会論では、あたかも女性の社会進出によって家庭における福祉機能が低下し、高齢者が家庭内で介護を受けることが困難になるかのような印象を与えたのである。現にこの日本型福祉社会論は破綻した。急速に進行する高齢化に加え、ますます長期化する高齢者介護という現象を、そもそも性別役割分業の強化のみによって、家庭内の女性に無償労働の延長として担わせようとする目論み自体が到底不可能なものであった。
 それを考えると、高齢化の加速を目前に控えた1970年代後半以降、幻想とも思えるような「家庭基盤の充実」を基礎にした日本型福祉社会論を展開し続けたことの罪は大きいといわざるを得ない。しかも公的介護保険制度の開始に至ってもなお、要援護高齢者が受けることのできるサービスの程度は、家族介護者の存在を前提としている。ここでの家族介護者とは誰を意味するのか。それを考えるとき、日本型福祉社会の幻影はいまだに消えてはいないことは明らかである。
 
高齢化前夜に
 福祉の問題は、政治であり、経済である。それらに直結している。高齢化率が急速に高まりつつあるこの時期、まさに東アジアの国々は将来の高齢者・家族・社会のあり方を決定づける岐路にさしかかっている。歴史は創られ、続いていく。かつてどの国も経験しなかった高齢化の波をまともにかぶった日本の現状を見て欲しい。そして、同じ過ちは是非とも回避して欲しい。そう願わずにはいられない。
 

*1 一般に満65歳以上を「高齢者」とするが、高齢者人口の増加等により、さらに満65歳〜満74歳を「前期高齢者」、満75歳以上を「後期高齢者」と区別することがある。また、後期高齢者は要介護となる確率が高いため、後期高齢者の急増は危機感を持って語られる。
*2 中国のデータには台湾が含まれている。